
スマートフォンの画面をスクロールしていると、「その症状、放置すると危険です」「9割の飼い主が間違っている○○ケア」といったコピーが目に飛び込んできます。損失回避性(Loss Aversion)を活用した、教科書通りのダイレクトマーケティングです。CTR(クリック率)は上がりますし、短期のCPA(顧客獲得単価)は下がります。数字だけを見れば「正解」に見えるでしょう。
しかし、こうした手法で獲得した顧客の2回目購入率はどうでしょうか。3か月後の継続率は? 多くのEC事業者が、穴の空いたバケツに水を注ぎ続ける構造から抜け出せずにいます。
私はペット(犬猫)向けサプリメントのD2C事業を運営しています。会員数は5年で2万人、単価1.5万円以上の、3か月おまとめ定期コースのF2転換率(初回→2回目の購入率)は約90%、4回継続率(=12か月の定着率)は約60%です。一般的なEC定期通販の同指標が5%前後であることを考えると、約12倍の差があります。
このにわかに信じ難い数字を出せた理由は、「不安を売る」手法を捨て、代わりに「買いにくさ」を設計したからです。以下では、この逆説的なアプローチの構造を、EC事業者の皆さまに応用いただけるフレームワークとしてご紹介します。
長谷 和俊
株式会社HACHI
代表取締役社長
獣医師の家系に生まれ、幼少期より動物医療の現場に触れて育つ。大学在学中に映像クリエイターとして独立。卒業後、家業の動物病院の医療DX改革を担う。その後、外資系製薬大手ゾエティス・ジャパンにて動物病院250社を担当。動画マーケティング会社創業を経て、2020年に株式会社HACHI設立。2021年にアニミューンを上市。独自のB2B2Cモデルで発売4年で採用病院が3,000社(うち直取引が2500社 ※2026年2月現在)、累計600万食を突破。2022年末には日本中小企業大賞「優秀賞」受賞。
動物病院専用サプリメント「アニミューン®」
https://animmune.jp/
この記事の目次
1. 「買いにくさ」がLTVを上げる逆説
ECの鉄則は「フリクションレス(摩擦の排除)」だとされています。ワンクリックで購入でき、余計なステップは一切なくす。それが「勝てるUI/UX」の常識です。
しかし、私たちは真逆のアプローチを取りました。商品はAmazonでも楽天市場でも買えません。公式サイトに来ても、すぐには購入できません。提携する専門家(私たちの場合は獣医師)の推奨を経て、専用コードを発行してもらう。そのコードをECサイトに入力して初めて購入ページが開く仕組みです。
マーケティングの常識で言えば、離脱ポイントの塊です。EC設計としては自殺行為にすら見えるでしょう。
しかし、結果として3つのことが起きました。
第一に、顧客の「純度」が上がりました。
「なんとなく良さそう」という衝動買い層がフィルタリングされ、専門家から推奨を受けた強い納得感を持つ顧客だけが残ります。この初期タッチポイントの質の差が、その後の継続率に直結しています。
第二に、価格競争から離脱できました。
モール販売をしないため、最安値競争に巻き込まれません。値引きクーポンの乱発も不要になり、ブランドの価格統制が効く状態を構造的に作れています。
第三に、チャネルパートナーとの関係が強固になりました。
顧客がネットで購入しても、紹介元のパートナーに収益が還元される設計にしています。パートナーにとっては在庫リスクゼロで物販収益が生まれるため、推奨するインセンティブが自然に働きます。
行動経済学に「イケア効果」という概念があります。手間をかけたものほど、人はその価値を高く見積もるという心理です。ただし、私たちが狙ったのは心理トリックではありません。購入に至るまでのプロセスそのものが、商品の信頼を構築する体験になっている──という設計です。
あなたのビジネスでも、「購入前に、顧客が信頼を実感できるステップ」を一つ挟むことはできないでしょうか。それは必ずしもハードルを上げることではなく、「納得のプロセス」を設計することです。

2. CRMの前に「初期タッチポイント」を設計する
多くのEC事業者が、F2転換率を上げるためにステップメールの文面やLINE配信のタイミングを最適化しています。CRM(顧客関係管理)は大切ですが、それはあくまで「延命措置」です。
私の実感では、顧客のLTV(生涯価値)の大部分は、「出会った瞬間」の体験ですでに決まっています。
SNS広告で不安を煽られて衝動買いした商品と、信頼できる専門家から「あなたの状況にはこれが合っていますよ」と説明されて手渡された商品。前者と後者で、その後のエンゲージメントが同じになるはずがありません。
私たちが高い継続率を維持できているのは、CRMの魔法ではなく、専門家という最も信頼度の高い「初期タッチポイント」をビジネスモデルに組み込んでいるからです。
ポイントは、専門家に「売ってください」とお願いしないことです。代わりに、専門家が顧客に説明しやすい環境を整備します。私たちの場合は、約10分の解説動画を制作し、パートナー向けの研修プログラム(動画11本)を用意しました。専門家が自信を持って推奨できる「武器」を渡すことで、営業コストをかけずに推奨が自然発生する仕組みを作っています。
本質は「信頼の移転」です。専門家と顧客の間にすでに存在する信頼関係の中に、プロダクトをそっと置かせてもらう。この作法さえ守れば、ヘルスケアに限らず、食品、美容、金融商品など、専門性が求められるあらゆる領域で応用できるはずです。

3. 「エビデンス」がCVRを上げる理由
専門家チャネルを活用するうえで欠かせないのが、「ファクト(客観的根拠)」です。
雰囲気で売れる商品もありますが、専門家は雰囲気では動きません。彼らを説得し、自らの顧客に推奨してもらうには、根拠が要ります。私たちの場合は、主成分について国際的な医学誌に掲載された臨床試験データを「共通言語」として活用しました。
これにより、営業の質が根本から変わります。感覚的な「良さそうですよ」ではなく、論文という第三者の検証を経たファクトベースの提案になるからです。
私はかつて外資系製薬企業で動物病院250社を担当した経験がありますが、製薬の現場では「エビデンスなき提案はただの感想」です。その考え方をD2C事業に持ち込んだことが、結果的に最大の差別化になりました。
ボタンの色を変えるABテストも大事です。しかし、それ以上に「嘘のない商品を作り、その事実を正確に伝える」ことがCVR(コンバージョン率)に効きます。専門家の推奨意欲と顧客の納得感が同時に上がるからです。

4. 組織設計:カスタマージャーニーを分断しない
最後に、仕組みを支える組織設計についてお話しします。
一般的なSaaS企業では「THE MODEL」に代表されるように、マーケティング・インサイドセールス・フィールドセールス・カスタマーサクセスと機能を分割します。効率性の観点では合理的ですが、私たちはこの分断をやめました。
理由は単純で、分断すると「やり抜けない」からです。マーケが設計した顧客体験を、営業が「現場では無理です」と変えてしまう。カスタマーサクセスが把握している解約理由が、上流の獲得戦略にフィードバックされない。こうした「組織の断絶」は、規模を問わず多くの企業で起きています。
私たちはRevOps(Revenue Operations)の考え方を採用し、リード獲得からカスタマーサクセスまでの全カスタマージャーニーを、一つのチームが一貫して設計・実行しています。デザイナーの評価指標も「制作物の量」ではなく「LPの訪問者数とコンバージョン率」です。
守備範囲が広くなるデメリットはありますが、出会いの瞬間から解約防止まで一本の線でつながったUXを実現できています。「買いにくさの設計」も「専門家チャネルの運用」も、この一気通貫の組織がなければ機能しません。

おわりに
不安マーケティングが蔓延する背景には、「短期の数字を求められるプレッシャー」という構造的な問題があります。その構造を変えない限り、現場のマーケターは同じ手法に手を染め続けます。
本稿でお伝えしたのは、
(1)「買いにくさ」で初期タッチポイントの質を上げる
(2)専門家チャネルで「信頼の移転」を設計する
(3)エビデンスを共通言語にする
(4)RevOpsで一貫した顧客体験を担保する
──この4つのフレームワークです。派手な施策ではありませんが、構造を変えれば数字は変わります。
CPAの高騰やLTVの頭打ちに悩んでいる方は、一度「もっと不便にできないか?」と自問してみてください。逆説的ですが、その問いの先に、バケツの穴を塞ぐヒントがあるかもしれません。
執筆者・サービス紹介

筆者が代表を務める株式会社HACHIは、科学的エビデンスに基づく動物病院専用サプリメント「アニミューン®」を展開しています。本稿でご紹介したB2B2C流通モデル(Vet Codeモデル)により、創業4年で全国3,000以上の動物病院と提携。「レガシー産業をテクノロジーと科学で構造からアップデートする」という使命を胸に、ペットヘルスケア領域の変革プロジェクトに取り組んでいます。
動物病院専用サプリメント「アニミューン®」
URL:https://animmune.jp/
あわせて読みたい















